9.拒食症の真っ只中、「ベジタリアン食」との出会いが食べることを許すきっかけになりました(もちゆか)
もちゆか(25)
一般社団法人Mealinkを中心に活動中
プロフィール
はじめまして、もちゆかと申します。
17歳で心身のバランスを崩し、心と食の関係に関心を持ち、自らを完治させる過程で様々な食療法を学んできました。現在は、食育団体等の代表として活動中であり、 個人でも企業等とのコラボ企画や企業研修等始め、 幅広く飲食を絡めた心身の健康提案をメインに活動中です。
・一般社団法人Mealink代表理事 (ミーリンク・学生×社会人による野菜食育団体)
・ウイメンズ日本酒会代表 (女性の目線で美味しい日本酒をご提案)
<健康心理士・精神保健福祉士 クシマクロビオティックアドバイザー等保有>
☆もちゆかブログ(http://ameblo.jp/4461335/)
克服前
症状
拒食、鬱症状、自律神経失調症(休みたいけど休めない、リラックスできない、常に交感神経が優位な状態、過呼吸になることも)
ダイジェスト
期間 |
状態 |
高2秋~高3夏(約10ヶ月) |
食事制限から拒食へ |
高3夏~高校卒業(約8ヶ月) |
拒食最盛期(暗黒期) |
大学入学~大2秋(1年半) |
ベジタリアン食依存 |
大2秋~大3秋(1年) |
だんだん完治へ |
人生曲線
原因、きっかけ
一言で言うと、自分を認めてあげていなかったこと。
特に家庭環境と大学受験のストレス、高2の秋に始めた食事制限が大きかった
家庭環境
父母と姉の4人家族
両親について
物心ついた頃には父親はたまに帰ってくる程度だった。
両親が不和であることも多く、母のことも父のことも両方好きだったので、衝突しているのは悲しかった。仲良くして欲しいと思っていた。
常に自分の存在意義を考えていた。
両親との関係
私自身は、父とも母とも仲良しで、愛情を注がれていたと思う。2人ともどちらかというと過保護で、結構気にされて育ててもらったため、かまって欲しい思いみたいなものはなかった。
家のお金について
家が自営業で、基本的にお金はなかった。
姉との関係
姉とは仲良し。一緒に生き抜いていく仲間のような感覚。姉は食べても太らない根っからの痩せ型体質だった。細い姉と比べることもあったとは思うが、特に姉が理想像ではなかったので、そこまで比べて劣等感を抱くとかではなかった。しかし小学校低学年の頃までは、何事も姉に負けたくない気持ちはあった。
学校環境
高校:偏差値は60前後くらいの学校。サッカーなどが強く、元気な人が多かった。
拒食症発症前は、とにかく楽しかった。
部活は1年だけバレー部をしていたが、部活よりアルバイトをしたかったため辞めた。
高3になるときに進学の選抜クラスに上がったが、勉強のプレッシャーは大きかった。
性格
負けず嫌い、完璧主義(ただし、自分がこだわることに対してのみ。その他の事は基本的には、ほとんどこだわりがない)、頑固、楽天的(寝たらほとんどのことは忘れる)、寂しがり(人にかまってもらえると嬉しい)
ダイエット
高2の秋に受験勉強を頑張ろうと決めたタイミングで、どうせなら理想の自分になろうと考え、初めて食事制限を始める
食事制限前は、標準体重数値よりは軽いくらいだけど、細くはないという感じの体型で、昔から人並みに細くなりたい願望はあった。(痩せている人のほうが豊かに見えた、「痩せている」ということが理想の自分の条件の一つだった)
その他
大学受験のストレス
家庭の状況等も考慮し、なんとか自立したい気持ちがあり、そのためにはいい大学に行かなきゃ、それが全てで、そうしないと人生終わると思っていた。
成績は数値に出てしまって、なんとか上げたいのになかなか上がらない科目もあった。
その一方、体重は頑張っただけ体重という数値に反映されるので嬉しく、自分を承認する唯一の方法となっていった
中学の部活(バレー)
アタッカーだったため、アタックを打つときに、軽やかに飛べるようにもう少し体重を落とすように言われたことが、そのときはダイエットしなかったが、何故か記憶に残っている。
克服中
完治までのプロセス
食事制限(約10ヶ月)→拒食最盛期(約8ヶ月)→ベジタリアン食依存(1年半)→だんだん完治へ(1年)→完治
高2秋~高3夏(約10ヶ月)
食事制限から拒食へ(164cm 50kg前半~40kg後半を推移)
食 |
最初は、そんなに極端なことはせず、お菓子を控える、夜の炭水化物を控えるくらい 朝:パン、おかず 昼:カフェテリア(揚げ物などを避け、ヘルシーなものに) 夜:出されたおかず、炭水化物を減らす(自分でよそる、半分にする) 2、3キロ落ちて痩せたねと言われて嬉しかった 途中(高2の終わりくらい)から基礎代謝以下のカロリーにするように |
運動 |
なし (無駄に動かず、勉強していた、運動するならご飯を我慢するという考え) |
生活 |
生活の軸が少しずつ勉強になっていった 勉強のために早起きとかはしないが、起きている時間は全て勉強していたい気持ちがあった。 |
体 |
生理が止まる 身体が軽くなり動きやすい 冷えがでてくる |
メンタル |
死にたいとかは全くなく、焦っていた(受験勉強、進路のこと) もっと勉強しなきゃ、もっと痩せたいという気持ち、 体重よりも勉強のことが気になる、 |
高3夏~高校卒業(約8ヶ月)
拒食最盛期(暗黒期)(164cm 40kg前半を推移、30kg台だったことも)
食 |
基礎代謝以下のカロリー たんぱく質と野菜(キャベツ)が中心 生キャベツをよく食べており、キャベツのストックがきれるとイライラしてしまうこともあったほど。甘いものは決めたカロリー以下であれば食べていた数値が下がっていくのが嬉しい、自分をコントロールできる感覚があった。 |
運動 |
なし |
生活 |
学校に中々行かなくなる、行けても保健室、遅刻、早退。 (学校で人に痩せたって言われるのが嫌、痩せたがっていると思われるのが嫌、何事もなかったようにほっといてほしい) 起きている時間は全て勉強。 1日の時間割は全部自分で決めていた。 睡眠は6時間以内(もともと睡眠欲はそんなにない方だが、恐らく体が飢餓状態で眠れないということもあった) 家ではタイマーを持って、時間を管理した時期もある。 家にこもり、人に会わない、遊ばない。 だんだん「痩せる」ということより「数字を減らすこと」に快感を覚えていく。 11月 過呼吸で勉強できない。 12月 初めて精神科病院へ行く、勉強のドクターストップが掛かる、テレビや新聞など活字のものも全てストップされ、ゆっくりカフェ巡りなど をして過ごすように言われる。
勉強したいのに文字をみると、ワーッとなってしまい、勉強できない。 カフェ巡りをするが、食べ物を頼むものの、食べられないので写真だけ撮って帰る。 大学は母の勧めで記念受験したところに合格。 |
体 |
疲れやすい(階段などあがれないことも) 呼吸が浅くなる 何していても寒い |
メンタル |
とにかく焦っていた(入試が近づいてくる)。 とにかく食べることが怖い。 1日3回ある食事が上手くできないとか、もう人生終わった、もう戻れない、治らないと思っていた。 今まで食を気にせずに、どう過ごしていたのかが思い出せない。 鬱状態。死にたい気持ち。 母親にあたる(夕飯の食べる時間が遅いといらいらする) 人が信じられない(何かされたわけでないが自分で閉ざす) 本当に落ちたときに支えてくれる人って少ないのだということを感じる。 家族は信じられた(父が家にいて、自殺しないように見張ってくれていた)。 空が灰色(全てが無に思える)。花とかも全く綺麗に見えない。 感情が一切ない(楽しい、悲しいとか無い、涙も出ない)。 |
大学入学~大2秋(1年半)
ベジタリアン食依存(164cm 40kg後半~50kg前半を推移)
食 |
自分の中の食のルールがカロリーから動物性食品の禁止に置き換わった。 ダイエタリービーガン(動物性食品を全て避ける)を出来るだけ徹底。 乳製品、卵、魚、肉は禁止で、カフェオレとかも飲めない反面、米やベジタリアン料理なら、揚げ物などボリューミーなものも食べられた。
カロリーよりも動物性食品や夜遅く食べることが怖い。 たまに、外食で動物性食品しか選べないときは食べていたが、とてもストレスで、不味く感じていた。 甘いものはベジタリアンスイ―ツならOKとしていた。 |
運動 |
なし |
生活 |
受験勉強が終わり、生活リズムは戻る。 四六時中ベジについて調べたくてしょうがない。 大学、ベジカフェでのアルバイト、ベジカフェ巡りをして過ごす 人と会ったり、飲みにいったり(野菜を食べる)できるようになる |
体 |
少し疲れやすい 冷えなどがきになる |
メンタル |
若干の鬱状態のままではあったが、気張って前向きにしようとしていた 死にたい気持ちはないが、感動とか本気で笑ったり、泣いたりとかもない 前向きにしなきゃ、ちゃんとしなきゃと思っていた 誰かのために自分の経験を役立てたい、勇気付けたいと思う
スピリチュアル(言霊と引き寄せ)や自己啓発の本を読む |
大2秋~大3秋(1年)
だんだん完治へ(164cm 50kg前半を推移)
食 |
動物性食品を食べられるように練習していった。 (しばらく動物性食品を食べていなかったため、お腹を下すなど、消化機能的にも食べられなくなっていた) とにかく肉が怖かったため、肉を食べられるように練習した(友達に頼んで、焼肉に連れて行ってもらったりもした)。 カロリーは特に気にしない。 |
運動 |
なし |
生活 |
生活リズムは同じ感じ。 学生団体Mealinkの立ち上げを行う 大学、Mealinkの活動、アルバイトを掛け持ち(弁当屋、ベジカフェ、飲食店)で忙しいながらも楽しく過ごしていた。 |
体 |
生理が戻ってくる 疲れにくくなる 身体の不調はほとんどなし |
メンタル |
自発的な前向き(しなきゃ感はない) やりたいことがどんどんでてきて、あれもやりたいこれもやりたい 今と比べると、少々頑張らなきゃと気張っていた 両親も別々の道を選び、自分の体調やメンタルとかいっている場合ではなく、ちゃんと生きなきゃ、と思うように。 両親の選択もそこまで落ち込まず、それぞれが別の道を生きることを受け入れられた。 |
克服に一番有効だったこと
1.思考のスイッチを切る
摂食障害で染み付き、反射的にでてしまう思考の癖を断ち切る
頭の中で電気のスイッチを想像し、摂食障害的な思考(夜遅くはダメ、カロリーだめ、)が出てきたときに、スイッチを切り、それ以上は考えないようにする。
(例)
こんなに夜遅い食事は食べちゃだめ、怖い
→(頭の中でスイッチを切る)
→何も考えない
→食べる
最初はできないけど、だんだんと考えなくていいんだと思えるようになってくる。
2.体重計に乗らない
体重の数値に一喜一憂するのは違う
その代わり、基準となるジーパンを持っておく(履けるものが履ければよしとする)
3.ベジタリアン食との出会い
高3の拒食真っ只中の時期に、病院の先生にゆっくりしなさいといわれ、カフェ巡りをしていた。普段は、食べ物を頼むが、怖くてほぼ食べられず、写真を撮るだけだった。しかし、ある日、表参道のブラウンライスというベジタリアンカフェに行ったとき、不思議と全てちゃんと食べることができた。これは、当時としてはありえないことで、衝撃だった。
そこから、体に良いベジタリアン食なら食べてもいいという気持ちが芽生え、食べること自体への恐怖が和らいだ。
その後、結果的に、自分のルールが、カロリーから動物性食品の禁止に置き換わってしまったが、「食べること」自体を許すという意味では、いいクッションになった。
克服の転機となった出来事、重要だったこと
1.カフェでベジタリアン食に出会う
2.大学入学
自分の目指していた、世間一般的な偏差値の高い大学ではなかったかもしれない。しかし、大学入学後、自分とは全然違うタイプの人々と出会い、自分のキャリアを見つめ直すようになった。大学に入ることが全てではないし、その分、自分の力で何か頑張ろうという気持ちになった。
3.おばあちゃんの家での出来事
おばあちゃんの家でとんかつが出た時に、食べられなかった。
今までは食べたくなくて食べてなかったけど、食べたいけど食べられない自分がいることに気付いた。おばあちゃんが大好きなので、とても申し訳なかった。
結局、自分は動物性食品を食べることに恐怖を感じており、これは健康じゃない、まだルールに囚われており、治っていないのだと気付く。また、他人がせっかく作ってくれた食事を食べられないということは、他人の気持ちを踏みにじっていることであり、それは自分の生き方として嫌だなと思った。そこから、動物性食品の禁止を解いていき、完治にむかっていく。
4.両親が別々の道を選んだこと
自分の摂食障害やメンタル面に囚われている場合じゃなく、それよりも自立しなきゃという気持ちになった。
克服中に試したこと
食べる恐怖をなくすために…
・寝る前にチョコレート一枚食べる(結果、気持ち悪くなる)
・友達とご飯へ行く(人前で食べることが嫌だったが、それに慣れる)
・誘いを断らない(飲み会にも行く)
・ゼロカロリー甘味料を買いだめして、それを入れて甘味付けしたものを食べる(結果、体調が悪くなる)
克服後
現在の生活(164cm 50kg台を推移)
食 |
特にベジタリアンではなく、何でも食べる ベジ食は週に1~2回取り入れる程度 仕事や生活の方が、優先順位が高いので、それに合わせて食事をとる感じ いい意味で食事ルールはないが、選べる時はできるだけ体にいいものを食べるようにしている(コンビニおにぎりよりも、おにぎり屋さんのおにぎりを選ぶなど) しかし、それしかなければそれを食べるし、あくまでもbetterを目指す程度 お酒も大好き |
運動 |
したいとは思っているが、特別な事はしていない 歩くことは好きなので、音楽を聴きながら一駅歩くくらい |
生活 |
仕事と活動で少しバタバタしている毎日。 睡眠はあんまり取れない日もあるが、取れるときには沢山寝るなどバランスもとっており、特にストレスでもない。 |
体 |
体調をくずすこともなく、 毎日仕事や生活が元気にできている。 |
メンタル |
人生生きていれば万全という気持ちがどこかに大きくある。 基本的には常に前向き へこむことがあっても、乗り越える楽しさもある 何をしていても楽しさを見出せている。 食べる、痩せるではなく、健康が一番。 やりたい仕事が出来ていることに幸せを感じている。 |
ダイエット
ダイエットはもう一生いいと思っている。
痩せきった先に幸せは無かったので、もうそこに自分の幸せはないと思っている。
スタイルいいことはいいとは思うけど、今は痩せたいとかはない。
人生の捉え方
今では信じられないが、当時は心身ともに限界を感じ、一度は死のうと思っていた人生だった。しかし、色んな人に支えてもらい今こうして生きている。
後はもう、やれるところまでやってみたい。
自分の人生を楽しみつつも自分がしてもらったように、世の中にも恩返し貢献していきたいと思っている。
現在のお仕事について
1. 一般社団法人Mealink代表理事
2.メーカー兼商社に勤務
3.ウイメンズ日本酒会代表
4.個人事業主として企業研修などにも携わる
活動としては、「食」一本ではないが、「食」について関わりたいという思いは一貫しており、いずれは「飲食」一本でやっていきたい。
克服の過程で、自分の体を治すために考えていた食というものが、実は地球上の様々な問題に繋がっており、食を変えることで世界が変わっていくという気付きを得た。
その気付きを多くの人に共有し、食という切り口から、地球にとって良い選択をしていく人が増えていってほしいと思っている。
現在多くの活動をしている理由は、始め個人で2-3年間やってみたときに一人の力、また食についてだけ特化することに限界を感じたから。この延長戦上に自分の目指す社会は実現できないと思い、もっと広い視点で、食、ビジネスについて関わりたいと思ったことも一つの要因としてある。
今は摂食障害支援に特化した活動をしようとは思っていないが、始めは摂食障害支援のカウンセリングなどの仕事をしたいと思っていた。そのため、精神保健福祉士という資格も取った。しかし、実際に実習に行き、重度の患者さんを目の当たりにした時に自分のケアできる程度を超えていると思った。
そこで、自分は直接摂食障害克服支援に関わるのではなく、知花くららさんや、鈴木明子さんのような形を目指すことにした。彼女らは自分が摂食障害であったことを公表し、たとえ活躍の場は違えど、今社会で活躍している姿を見せることで、間接的にでも、摂食障害克服支援に貢献してくれている。実際に自分が一番勇気づけられたのも、こういった人達だった。
現在の仕事に摂食障害の経験は生きているか
心身の限界まで身体を酷使することがなくなったこと
頑張ることはあっても、身体をこわすまではやらない。
自分なりのリラックス方法や身体のケア方法、
休み方を身に着けたのは仕事をしている今でも役に立っている。
必ずしも「頑張ればなんとかなる」と思わなくなったこと
以前は、「頑張ればなんとかなる」
ということを自分でも思っていたし、
恐らくどこかで人にも期待していた。
しかし「頑張れない」「頑張ってもどうにもならない」
こともあることを知ったことで
自分のことも人のことも受け入れる幅が広がった。
組織やチームでなにかすすめるときにも、
その視点は大きく役立っているとおもう。
「幸せ」に関する考え方が変わったこと
少し似ているが、「幸せ」に対しての幅も広がった。
「日本にいるだけで幸せ、食べるものがあるだけで幸せ」
幼いころからそう言われてきたし、勿論今もそうおもう。
そして自分にも人にもそうだと思っていたけれど、
「そのひとにとってどうみえるか、幸せなのか」
という観点で自分にも人にも寄り添う幅が広がった気がする。
(そういう意味で日本の自殺者の数など、
前とは少しちがった角度で見ることが出来た気がした。)
仕事の選び方もしかり、
自分にとってその人にとってどうなのかという視点は
今でもとても大きく役立っている。
まとめ
「治った」の定義
食べるために生きるのではなく、生きるために食べる状態になること。
病気の時は、食べることが全ての主軸だった。拒食で実際には食べていなくても、頭の中は常に食のことでいっぱいだった。
本来は、こういうふうな生活がしたいから健康でいたいという順番なはず。「生きること」と「食べること」、自分の主軸はどっちなのかの問題。
また、体重が戻ることではなく、精神的に普通の状態になること。
ずっと摂食障害だけど、体重が変わっていない人もいる。必ずしも外見や体重ではなく、内面の心が病気から脱却しているかどうか。
振り返ってみて
様々な要因が重なったのだと思うのですが、 同時に「生きること」を考えるきっかけでもありました。
メッセージ
壁を扉に!私も頑張ります!