摂食障害リアル克服体験談

今現在摂食障害で苦しんでいる方に向けて、克服者がどのように治っていったのか、そして今どのように生きているのか、たくさんの事例を紹介します。

【摂食障害】自由に食べる

 

こんにちは。お久しぶりです。すずです。

昨年から随分とご無沙汰しておりました。皆様いかがお過ごしでしょうか。
私は、その間ニュージーランドへ旅行へ行ったり、卒論を仕上げたりしておりました。
とりあえずなんとか卒業できそうです。わーい。

 

さて、今日は「自由に食べる」ということについて考察してみようと思います。
最近、私はつくづく「自由に食べているなあ」と感じます。
これは、摂食障害だった約6年半にできなかったことです。

自由に食べるって、普通の人にとってはあまりに当たり前すぎて考えることもないかと思います。
でも、摂食障害の時はそれができなくて苦しんでいました。本来、「食」って自由なもののはずなのに、自分で作り出したルールや拘りに縛られ、恐怖でがんじがらめになって、全然自由じゃありませんでした。

 

私にとって「自由に食べる」とは、

 

 

自分の食べたい、食べたくない、を感じ取って、それに素直に従って食べること、
これを食べたら太るとか、これは〜が入っているから、無理とかあまり深く考えず食べたい気持ちに従って食べること、
自分の拘りよりも、人との時間の共有を優先して食べられること、
自分のいつものスタンダードに縛られずに、例外も柔軟に認めて食べられること、
食が全ての中心でなくて、時と場合によって適当に食べられること、

 

なのかな、と思います。まとまりがないですね。笑
なかなか「自由」を言語化するって難しい。


イメージでいうと、
自由じゃない状態は、カクカクした四角形で、
自由な状態は、流れのある曲線のまとまりみたいな、ドレスの裾が流れているみたいな、
感じです。
余計伝わりにくいですね、すみません笑

分かりづらいので例を出します。

 

例えば、
拒食のときは、とにかく油、米、小麦粉、甘いものが怖く、外食にいっても、人にお土産でもらっても、家で出てきても、徹底的に避けていました。
また、夕飯を家で食べたくなかったので、家で勉強したいときも、夕食を親にバレずに抜くために塾や自習室に篭っていました。
さらに、毎日、自分の食事の計画を詳細に立てていて、例え、友達に遊びに誘われても食事計画を守ることが優先で断ったり、長話で帰りが遅くなり、食事の時間が遅くなることにイライラしていました。

 

それが今、
油、米、小麦粉、甘いもの、何でも毛嫌いせずに食べられます。その時々の自分の感覚で好きに食べる食べないを決められます。
食事の予定ではなく、その時々の自分の予定に合わせて、その場にあるものを食べられます。
場所も時間も詳細に決めていないです。予定がずれて、夕食が平気で10時、しかも外食になることもありますが、イライラしないし、罪悪感にまみれてパニックになりません。

 

 

非嘔吐過食・過食嘔吐のときは、
毎日、過食しないように食事計画を立てていました。予定変更で守れなくなったり、急な会食など自分の予定が崩れるとパニックになって過食になっていました。さらに、過食嘔吐のときは吐きやすいように食べたくないものも詰め込んで、吐いていました。
また、自分のことが嫌いでしょうがなく、そんな自分を更に傷つけるために過食に走っていました。

 

今は、
食事計画は特にありません。先週は野菜不足だったから今週は野菜を多目にとるぞとか、それくらいです。予定外の会食もヨユーです。その後パニックで過食に突入することはありません。
また、自己嫌悪したり、落ち込んだりすることはありますが、それと過食を結びつけません。美味しいものを食べに行ったり、カフェで甘いものとコーヒーを飲みにいくことはありますが。
食べすぎることはあっても、あー食べすぎたなとは思いますが、拭いきれないような罪悪感はないし、吐いたり過剰運動で帳消しにしません。


こんな感じです。
なんかとっても楽だなと思います。そして楽しいです。
また、今まで食に向けていたエネルギーがきちんと使えるようになったので、
その分、食以外のことを楽しめるようになりました。
自分の食べたことないものを食べる、人との会話を楽しみながら食べるなど、「食」本来の楽しみ方ができるようになりました。
本当に治って良かったな、としみじみ感じます。


一つ勘違いしてほしくないのは、いつも完璧に食事しているわけではありません。
そんなにお腹が空いてなくても、食べることもあるし、
食べたいものが浮かばず、適当に済ませることもあるし、
食べすぎ飲みすぎが続くこともあるし、
自分が病気のときに思い描いていた治った姿よりも、結構テキトーです。

 

だから、完璧に自分の思い通りに食べていることが治った姿だと考えるのはちょっと違う気がします。もっと適当でごちゃごちゃな感じな気がします。

そう考えていくと、「自由」って全てが整った均質的、画一的なものじゃなくて、
もっと混沌としていて、ごちゃごちゃなものの集まりなのかもしれません。

 

だから、今自由に食べられなくて悩んでいる人は、頑張って食を整えよう、整えようとするではなくて、むしろ逆に、強制的に混沌、ごちゃごちゃになる状況に身を飛び込んでみるのがいいのかなと思います。

私も、一ヶ月ずっと海外旅行したり、学生同士のプロジェクトに参加して、期間中は一日他のみんなで食べることが増えたり、自分で食を管理できない状況に飛び込んだのはプラスに働いたのかなと思います。
今までお話を伺った方の中でも、仕事のプロジェクトで、他の人と昼も夜も食べる機会が増えたり、友達との食事を断らずに行って、自分の許容範囲の食べ物じゃなくて友達と同じものを食べてみたりすることで、回復に向かって行った方が多かったです。

 

自分で食を管理できない状況に飛び込むのは、とっても怖いし、それは無理と思う気持ちも分かります。でも、ちょっとでもいいから行動することで、何か変わるかもしれません。1回行動したからといって、すぐ治るわけではありません。でも、後から振り返ってみると、試行錯誤の行動の積み重ねが、結果的に回復へと繋がりました。だから、今悩んでいる人も、小さいことでもいいので、いつもとちょっと違う行動をしてみてほしいです。その時はうまくいかなくても、余計つらくなっても、きっとそれは回復につながっています。大丈夫です。

 

 

ではでは、ちょっと抽象的な感じになってしまいましたが、
こんな感じで、2017年最初のブログにしようと思います。

私のほうも、卒論が一段落したので、このブログの方にも力をいれていきたいと思います。
ではでは、素敵な日曜の夜をお過ごしください。(^O^)