11.拒食よりも大切にしたい夢がありました(山本佳奈)
山本佳奈(27)
医師
プロフィール
1989年滋賀県生まれ。医師。私立四天王寺中学・高等学校卒業。2015年3月、滋賀医科大学卒業。医師免許取得。同年4月より福島県の南相馬市立総合病院に勤務。大学時代から、医学博士・上昌広氏の下で貧血を中心に医療全般について研究している。
著書に『貧血大国・日本~放置されてきた国民病の原因と対策~』がある。
また、ハフィントンポストにてコラム連載中。
http://www.huffingtonpost.jp/kana-yamamoto/
克服前
症状
拒食
ダイジェスト
期間 |
状態 |
高1夏~浪人1年~大学入学(約3年半) |
拒食 |
大学1年~大学4年(約4年) |
ゆるい拒食 |
大学5年~社会人1年目(約3年) |
だんだん回復へ |
人生曲線
原因、きっかけ
自分に自信がなかったのと、幼い頃からぽっちゃり体型だったのが嫌で始めたダイエット。
また、勉強に一生懸命すぎたことも大きい。
家庭環境
教育熱心という感じではなかった。アウトドアが好き。
休日は、登山やキャンプに連れて行ってくれた。長期休みをとっては、計画を立てて車で北海道や長野県などに連れて行ってくれた。
母親
教育に関しては、生活費をなんとか工面して塾に行かせてくれた。
将来何になってもいいと言われていたが、逆にそれが無関心に思えた時もあった。
妹
お互い少し距離が離れている方がちょうど良い。
妹に自分の真似をされているように感じてしまう自分が嫌だった。
学校環境
中高一貫校、8割方が理系で医学部へ進学する人も多い。
高1の時に、「もうちょっと頑張れば、医学部にいけるのでは」と担任の先生に言われて、勉強を一生懸命にするようになった。
部活に入る人は全体の1割強で、自分も部活に入っていなかった。
中学の時は友達関係でうまくいかなかったこともあり、中高時代は辛い時期でもあった。
毎日辛い時もあったが、勉強していれば考えなくて済むので、1人で読書をしたり勉強をしていることが多かった。
性格
極端。やるとなるととことんするが、興味がないと全く集中できない。几帳面ではない。寂しがり。飽きるまで1つのことをずっと続けてしまう。スイッチが切れると何もしたくなくなって、寝込んでしまう。基本休日も外に出て何かしていたいタイプ。
ダイエット
元々小学校の頃からぽっちゃり体型だったことが嫌で、今まで何度かダイエットは試みていた。しかし、特には変わらなかった。
高校1年生になり、食事を極端に減らすダイエットを始めた。見た目を気にしていたので、痩せればもっと可愛くなれるかもと思っていた。
克服中
完治までのプロセス
拒食(約3年半)→ゆるい拒食(約4年)→だんだん回復へ(約3年)→完治
高1夏~浪人1年~大学入学(約3年半)
拒食(155cm min29kg)
※高2の12月に初めて病院へ行く。医者に「明日死ぬよ」と言われ、即、精神科(閉鎖病棟)に入院。
食 |
【入院前】 ご飯はひとかけら程度。 とにかく食事の量を減らす。 糖分、脂肪分、お菓子を一切やめる。 油はキッチンペーパーでとって食べることもあった。 ノンカロリーのものをよく食べる。 カロリー表示を確認し、1日300~500kcal |
【閉鎖病棟に入院中】 出された入院食(カロリー少ないものを選ぶ)、エンシュアリキッドを毎食後に飲む。ご飯はどんぶりに盛られていた。 しかし、体重が全然上がらず入院3ヶ月目にようやく焦り出し、そこから母親にカロリーの高いもの(菓子パンなど)を買ってきてもらい、体重を増やすために真面目に食べる。 |
|
【入院後】 親が作るご飯プラス菓子パン(カロリーを摂るため)。 退院して半年は食べなきゃと勉強できない、という不安があった。 |
|
運動 |
なし。 |
生活 |
入院中は勉強も読書も禁止だった。 浪人時代は、勉強を1日12~13時間していた。 予備校では1番上のクラスに入っていた。しかし、成績が上がらず気持ちが滅入ってしまって、4ヶ月ほど予備校に行けない時期があった。しかし、担任の先生と友達に助けられ、また行けるようになった。 たまに生き抜きに予備校の友達と遊ぶこともあった。 |
体 |
髪の毛が薄くなる。体毛が濃くなる。とにかくげっそりしている。生理が不規則になる。ひどい頭痛。 入院中、いきなり食べ始めたので脂肪肝、ひどい胃痛になる。 |
メンタル |
自分は問題ない、食べなくても生きていけると思っていた。入院しても、病識が全くなく、何で食べろ、勉強しちゃだめ、と言われるのか分からなかった。自分はご飯を食べているし、何で入院させられているのか分からなかった。 |
大学1年~4年(約4年)
ゆるい拒食(155cm 40kg台後半)
食 |
朝:野菜ジュース 昼:小さいおにぎり、野菜、卵焼きなど、子どもサイズのお弁当だけ 夜:アイスやお菓子だけなど
食事の波があり、極端にやる時は毎日500kcal分のアイスやお菓子だけなど。逆に、たまに夜中にたくさん食べることもあった。 飲み会や外食ではお刺身やサラダのみ |
運動 |
なし。 |
生活 |
忙しいときと忙しくないときの波がある 2年の後半は忙しい、3年4年のテスト前は大変だった。 基本的には規則正しく、夜は23時頃には寝て、朝に勉強していた。 長期休みは、バイトで貯めたお金で海外に行くこともしばしば。 |
体 |
生理が酷くなり、ピルを飲むようになった。 拒食の方向に行くと、心なしか毛深くなったような気がする。 |
メンタル |
要領が悪く、焦るとパニックになり、何か大きいものに追われる気がした。 基本的に寂しがりやで、大学4年の時に犬を飼い始めた。週末はよく実家に帰っていた。グループになって行動するのが苦手。 |
大学5年~社会人1年目(約3年)
だんだん回復へ(155cm 50kgいかないくらい)
食 |
太ったなと思い、昼は粗食にしていた。 しかし、極端にお菓子だけ食べることはなくなった。 一人で食べる時はカロリーを気にしてしまう。 |
運動 |
犬の散歩くらい。 |
生活 |
特に変わっていない。試験勉強や国試の勉強で忙しい。 睡眠時間も多くなったり、少なくなったり、波がある。 |
体 |
太ったり、少し細くなったり、体の波がある。 体調は普通。 |
メンタル |
写真をみて振り返ると分かるが、気にするのも無駄だと思う。 痩せているのは自己満足で、他の人はあんまりみてないし、だからどうとか関係ない。無駄な抵抗はやめようと思う。 社会人になり、仕事で落ち込むこともあるが、感情を自己処理できるようになってきた。 |
克服に一番有効だったこと
1. 一生懸命になれるものを持つ
高校時代は大学受験、大学入学後は勉強と、拒食よりも熱中できるものがあったから、回復したし、悪化しなかったのだと思う。
自分の性格的に、何かに没頭するとそれ以外見えなくなる面がある。没頭できるものを見つけることが回復においてとても重要だった。
法医学のドラマを見てから、ずっと医者に憧れを持っていた。患者さんに寄り添って、力になれる医者になることが自分の中では1番大事。
2. 周囲の人
自分が拒食であることに気付いてくれた高校の担任の先生、入院中に毎日お見舞いに来てくれ、その後も何かと心配をかけた母親への申し訳なさがあった。
また、自分が拒食の時に診察してくれた研修医や担当の先生が「分かってくれない」という苛立ちがあった。
克服の転機となった出来事、重要だったこと
1.閉鎖病棟に入院
自分はこのままだと一生ここから出られないのではないのかと感じ、それは嫌だ、早くここから出たいという気持ちが無理やりにでも食べようと思うきっかけになった。
2.大学受験
このままでは医学部に行けないのではないか、拒食なんかしている場合ではない、という危機感があった。
とにかく食べないと、受験どころではないということに気付き、必死で食べた。
3.大学入学
これから自分は医者になるけれど、自分のような医者に診られたくないと思った。
食べないことで、効率が落ちるし、患者さんに最適な医療を施せないのはプロとして失格だし、あってはならないことだと思う。全く無意味なことだと思った。
げっそりしている医者ではだめだと思った。
また、大学でクラスの女の子が、普通にご飯もお菓子も食べているのを見て、自分もそれでいいんだ、普通に食べていいんだと思った。
4.大学の授業で精神科について学んだ
初めて摂食障害を医学的に学んだ時、本当に自分のことだなと思った。それまでは、拒食症と分かっていても認められなかったが、認めることができた。また、産婦人科についても学んだことで、将来子どもができないのは嫌だなと思った。
自分は本当にこれじゃだめだなと思ったことで、そこから徐々にフェードアウトしていくことができた。
克服中に試したこと
自分で病識がなかったため、特に病気を治そうと思って試したものはない。
しかし、自分が拒食に傾きそうになる時に、いつもタイミング良く、テスト勉強、定期試験など拒食よりも優先度の高いものがあり、それで上手く抑えられていた気がする。
克服後
現在の生活(155cm 50kg前後)
食 |
コンビニや外食が多い 朝:おにぎりやパンなど、コンビニで適当に買って食べる 昼:宅配のお弁当 夜;コンビニ弁当やお惣菜など、外食も多い 夜にアイスとかお菓子を食べることも 罪悪感は、あまりない
今は食べることがとても好きで、人との食事も多い 外食が多いので、1人の時は粗食を心がけている はまると飽きるまでそればかりでも平気なので、毎日おにぎりばかり、サンドイッチばかり、甘いものばかりの時とか、自分でも偏っているなと思う笑 |
運動 |
職業柄、1日1万歩ほど院内を歩いている たまに、腹筋マシーンやヨガ |
生活 |
不規則 家には寝に帰るだけ。0時や1時まで仕事していることも多い。かと思えば、10時11時に寝ることも。 当直もあり、睡眠時間が5時間4時間になることも多い。 土日はだいたい研究室や医局で勉強、たまに遊びに行くなど |
体 |
体調は普通。 |
メンタル |
ふと自分の将来について考えると不安になることもあるが、落ち着いていようと心がけている。 |
ダイエット
気にしすぎると疲れてしまうので、あんまり気にしないようにしている。
食べすぎないように意識するくらい。バランスが大事だと意識している。
自分の体型を過度に気にするのは、例えば胸の大きさを気にするのと同様、ないものねだりだと思っている。
それよりも、自分が有意義と感じるもの、一生懸命になれるものにエネルギーを注ぎたい。
ただ、ダイエット広告の煽る感じの書き方はあまりよくないなと思う。
人生の捉え方
全部成功しているように見える人のことは、羨ましいけど、私はそうでない自分の人生を受け入れている。その時はしんどかったけど、振り返ってみたらなんだかんだ結果オーライだったなと思う。辛かったことも笑い話にできたらいいなと思う。
また、自分にとっては、常に夢や目標、やりたいことを持つことは大切で、これがあるとどんなに辛くても頑張れると思う。
摂食障害で苦しんだ時期もあったけど、全部ひっくるめて自分の人生なのかな、と今は思えるようになっている。
現在のお仕事について
研修医として、色々なことを幅広く学んでいる。特に興味があるのは、産婦人科。理由は、色々なものを幅広く診たい、赤ちゃんが好きでその過程を見たい、女性の役に立ちたい、と思うから。
まずは、産婦人科をやって、その後はもっと幅広いことに対応するために、例えば女性外来をやりたい。婦人科でも、メンタルでも、美容でも、自分の経験も含めて、女性の役に立ちたい。
まとめ
「治った」の定義
何でも意識せずにパクパク食べられること。何も考えずに食べられること
そういう意味では、自分が完全に治っているのか疑問に思うときもある。
お菓子や揚げ物を食べる時は少し考えるし、夜遅くに甘いものなどを食べるときはちょっと罪悪感がある。おにぎり2個食べてもいいけど、1個にしておこうと抑えることもある。
でも前とは異なり、自分の中で納得して食べているし、たとえ夜遅くに甘いものを食べた時に罪悪感があっても、まあいっか、しょうがないや、と自分を許している。
毎日普通に食事をして、人との食事も普通に行くし、食べることが好き。
食べるときに考えてしまうのは、自分の中で当たり前になっているので、そこから完全に何も考えずに食べるという風にはならないのかなとは思う。
振り返ってみて
二度と病気の時に戻りたくないけれど、得たものは少なからずあるのかなと思っている。
同じような人の気持ちも分かるし、世の中にはそれで苦しんでいる人が沢山いることも分かった。自分の経験がそういう人に届いて、そういう人を救えるなら救いたいと思っている。この病気は本当に恐ろしいと思う。自分をどんどん責めて、本当に死んでしまう。自分は死なないでよかったと思っているし、この病気で亡くなる人がいるのは悲しい。
メッセージ
簡単に、「頑張って」とも言えません。
自分とは状況が違う人もいるだろうけれど、相談にのれるのであればのりたいと思う。
自分が病気を治してあげることはできないけれど、話を聞くことは出来ます。
ちょっと自分のこの状況をなんとかしたい、と思う人がいるのであれば、医者という職業的にも、一経験者としても、何かお役に立てるかもしれません。