15.拒食症克服の経験は、管理栄養士となった今、全て活きています(鈴木真美)
鈴木真美(36)
管理栄養士
プロフィール
管理栄養士。
短大卒業後、病院や社員食堂での調理やメニュー開発に従事。
現在は、家庭の食のあり方を伝える料理教室を主宰。
また、摂食障害啓発活動も行っており、食べ方に悩む方の心に寄り添いながら食のサポートを行っている。
克服前
症状
拒食、やや過食、チューイング
ダイジェスト
期間 |
状態 |
高1~高3初め(約2年) |
拒食 |
高3初め~高3の3学期(約1年) |
拒食、やや過食、チューイング |
高3の3学期~短大卒業(約2年) |
摂食脳(食べるものをやや過剰に考えるなど)はあるものの、食べられるようになる |
人生曲線
原因、きっかけ
ダイエット。
中3の3学期に部活を引退後、特に太っていなかった(156cm 45kg)が、脚の太さを気にしたり、周りに影響され、軽い気持ちではじめた。それまでは特にダイエットを意識したこともなく、他人から容姿について何か言われたこともなかった。
家庭環境
両親、弟の4人家族。
過保護でも放任でもなくちょうど良い距離感で、大切に育てられたと思う。人と比べられたり、勉強や習い事を強要されることもなかった。とても良い家庭環境で、自慢の家族。
父
こだわるところはこだわり、ゆるいところはゆるい。理不尽に怒ることをしない。優しい。
母
のんびりしている。怒鳴ったりしない。
弟
普通に仲良し。のんびり屋。
学校環境
中学
新体操部に入り、夢中になる。好きだったので、練習も苦ではなく、入賞したりもした。成績は中くらい。
高校
中の上レベルくらいの学校。必死に勉強したつもりはないが、どんどん順位が上がり、学年10位くらいまでになった。部活はしていなかったが、バイトはしていた。友人もいて、楽しく過ごしていた。ごく普通の学校生活。
性格
細かい。神経質(でも気にならないところは全く気にならない)。完璧主義。注意されるとかなり落ち込む。
ダイエット
3食食べていたが、量を少なくしていた。
食べたものを記録し、多めにカロリー計算していた。最初は1日1800kcalくらいにしていたが、徐々に1600kcal→1200kcal→600kcalと少なくする日を増やしていき、カロリーを低く抑えられた日は達成感があった。運動は特にしていなかった。
外食の時は普通に食べていたが、後から食事や運動で調製していた。
3ヶ月で10kg落とした。どんどん減っていく体重を見るのは楽しく、快感だった。
克服中
完治までのプロセス
拒食(約2年)→拒食、やや過食、チューイング(約1年)→摂食脳はあるものの食べられるようになる(約2年)→完治
高1~高3(約2年)
拒食(158cm 34kg)
食 |
ダイエット中と同じ食事。 朝:食パン1枚、牛乳100ml、卵など 昼:小さい弁当箱に自分で詰める ご飯100g、冷食の揚げ物は油を十分に吸い取る 夜:ごはん、おかず
食事は家族と食卓で食べる。大皿盛りだったので、カロリーの高いものは取らず、野菜炒めのきのこばかり取ったり、油ものは衣を外し、更についた油をふき取る。デザートがある場合は、翌朝に回す。毎食後に必ずカロリー計算をしていた。 友人と外食する時は、その前後でカロリーを調整していた。急な誘いは、カロリーの計画が崩れるので、苦手だった。 |
運動 |
特にしていなかった。外食する日は多めに歩く程度。 過剰運動は特になかったが、1度だけ、ゼロカロリーだと思って飲んだコーラが普通のコーラだと分かり、焦って夜中に歩きに出たことがある。 |
生活 |
規則正しい生活。 学校に行き、バイトをしたり友達と遊んだりした。 しかし、常に空腹だったからなのか良く眠れず、朝4時、5時に目が覚め、我慢できずに朝ごはんを食べることも多々あった。 |
体 |
中3の3月から高2の春まで生理が止まる。 骨が痛くて、学校の椅子に座っているのが辛い。スカートはゆるゆるで、折らないと落ちてくる。 体が冷え、平時の体温が35℃前後。風邪は引かず、胃腸も丈夫。 |
メンタル |
イライラしやすい。家族に対して、ちょっとしたことで突っかかったり、切れたりしていた。食事、体型をコントロールできている自分に対する満足感、達成感があった。 食べないのに、食に対する執着心が強かった。朝食を食べたらすぐに昼食のことを考える、グルメ本や食品成分表を読み込むなど、1日中食のことを考えていた。 |
高3初め~高3の3学期(約1年)
拒食、やや過食、チューイング(158cm 41kg)
食 |
普段は拒食だが、反動で食べてしまうことが増える。夕食の残りのご飯やおかずを少しずつつまんで、全部食べたり、バイト先のパン屋の廃棄のパンをもらってきて食べたりしていた。
しかし、太るのが怖くなり、「飲み込まなければいいんだ」と考え、チューイングを始める。チューイングするのは2、3日に1回で、休日の昼間など家に1人の時が多かった。チューイングできないものは、食べなかった。しかし、だんだん面倒になり、チューイングは2ヶ月でやめた。
だんだんカロリー計算が適当になり、食べ過ぎた後の調製も気にしなくなる。しかし、常に頭では考えていた。 |
運動 |
特になし。たくさん食べたら歩く。 |
生活 |
規則正しい。チューイングは空いた時間にやっていたので、自分の生活に大きな影響はなかった。 |
体 |
太った。体調は良い。生理はホルモン剤を飲まないと来ない。 |
メンタル |
普段は元気だが、食べてしまった時は自己嫌悪。食べてしまっている自分はもうだめだと考える。チューイングしている時はとても惨めで、かっこ悪い、みっともないと思っていた。食べ物を作った人に申し訳ないと思っていた。自分の状態に対して、なんとなくおかしいと思い始める。 |
高3の3学期~短大卒業(約2年)
摂食脳はあるものの食べられるようになる(160cm 45kg前後)
食 |
だんだん食べる量が摂食障害前の量に戻ってくる。 しかしまだ、食べたいものではなく、カロリーの低いものを選んでしまう傾向はあった。 朝:パン1枚、ヨーグルト、飲み物 昼:手作りの弁当。小さいタッパに自分で詰め、野菜多め。 夜:ご飯200g程度、味噌汁、少なめのおかず
鈴木その子さんの本を読んで、お米をきちんと食べ始める。今までは1食100g程度だったが、200g程度食べるようになる。その他、味噌汁、煮豆、佃煮などを食べる。
短大の調理実習でも、油ものなどには多少抵抗があったが、普通に食べていた。友人との外食も楽しめるようになる。 |
運動 |
なし。 |
生活 |
授業が毎日あり、忙しい。実習とレポートに追われる日々。学業で忙しく、バイトやサークルはしていなかった。 |
体 |
特に不調はない。まだ周りから細い細いと言われていた。 更年期障害みたいな症状がでることがあった。ホルモンバランスの崩れが原因らしく、今まできちんと食べてこなかったことに多少なりとも原因がありそうだと感じた。 |
メンタル |
安定していた。今までのように、ぎすぎすはしていなかった。学校が忙しくて嫌になることはあったが、それ以外は特に普通だった。 |
克服に一番有効だったこと
1. 米を食べる
それまで炭水化物は悪だと思っており、炭水化物恐怖症だった。しかし、鈴木その子さんの本を読み、毎食必ずお米と味噌汁を食べ、おかずは少しにするというスタイルを実践した。
今までは、栄養バランスやカロリーなどあれこれ考えてがんじがらめになっていたが、とにかく米と味噌汁を食べればいいという自分の中のベースができたので、考える量が減り、楽になった。炭水化物の恐怖から抜け出せた。
2. 低カロリー食品、ノンカロリー食品をやめる
鈴木その子さんの本を読み、低カロリー食品やノンカロリー食品など添加物によって、不自然にカロリーがなく、栄養もない食品をやめた。それらの食品を食べるなら、きちんと砂糖が使われているものを選んで食べるようにした。
添加物は脳にも影響を与えると言われているので、それをやめた自分はもう大丈夫、正常だと思えるようになった。ただ、全て完璧に避けるのは難しいので、できるだけということを心がけ、完璧主義にならないようにした。
3. 間食、夜食を摂る
鈴木その子さんの本を読み、必ず間食と夜食を摂るようにした。間食は、お饅頭や小さなおにぎりなど、なるべく油を使っていなくて100kcal前後のもの、夜食も、小さい羊羹や飴玉などを食べることが多かった。
初めはご飯もしっかり食べて、間食、夜食も食べたら太るだろうと思っていたが、不思議と太らなかった。徐々に間食や夜食に対する恐怖や罪悪感が和らいでいった。
4.体重計に乗らない
ひどい拒食の時は1日数回量っていたが、体重が増えだしてからは、増える数字を見るのが嫌で自然と乗らなくなった。結果的に、体重計の数字に対する執着が薄れていったので良かった。
克服の転機となった出来事、重要だったこと
1.生理が止まり、婦人科に行った
中3の3学期から生理が止まっていたが、来なくてもいいやと放置していた。しかし、生理が止まって1年くらい経った時に、「将来子どもが埋めなくなるかも」と不安が大きくなり、母親と共に病院へ行く。
だんだんと、このまま痩せ続けたら、ある朝死んでいるかもしれないと思うようになる。この気持ちがだんだんと太る恐怖より上回るようになっていった。
また、ある時お風呂で自分の姿を見た時に、それまではなんとも思っていなかったが、痩せすぎだと感じる。
それまでは「痩せたい」だけだったが、「痩せたいけど、このままではやばい」と思えるようになっていった。
2.鈴木その子さんの本
図書館でたまたま手に取った。摂食障害を治すためではなく、ダイエットのために借りた。しかし、白米中心にもっと食べることを推奨している内容だった。今まではどんなにもっと食べろと言われても受け入れられなかったが、この本の内容は読んですぐに受け入れられた。それからその子さんの本を読み漁り、内容を実践していった。たまたま自分に合っていたのだと思う。
『やせたい人は食べなさい 決定版ー奇跡の鈴木式・スーパー・ダイエット』
『マンガでバッチリ!!鈴木式ダイエット』
克服後
現在の生活(160cm 48~49kg)
食 |
ご飯と味噌汁と漬物という食事をベースに、好きなものを食べる。 朝:パン 昼:友人と外食or家でご飯と味噌汁中心の食事 夜:家族と一緒のものを食べる 間食:何でも食べる
友人との食事や飲み会などが楽しい。急な誘いでも抵抗なく対応できる。 食べすぎても、美味しかったし、まあいいかと思っている。 |
運動 |
特になし。家事で動く。 |
生活 |
結婚、出産し、家事・育児漬けの日々。 規則正しい生活。出かけることも多い。 |
体 |
ここ数年、体が弱くなったと思う。今になって成長期にきちんと食べなかった影響が出ているのでは、と思うこともある。年かもしれないが…。 |
メンタル |
色々な事があるが、やる事がたくさんあり、落ち込んでいる暇がない。落ち込んでもなんとかやっている。 子どもが生まれ、自分のことよりも子どものことを中心に考えることが多くなった。 |
ダイエット
今はあまり気にしていない。体重は毎日量っているが、増えていても、あまりに増えている場合(10kgくらい)を除き、特に何かすることもない。
人生の捉え方
摂食障害真っ只中の時は、見えている範囲がとても狭く、先のことも考えられなかった。「もっと細くなりたい」、それだけだった。
治ってからは、広い範囲で物事を見られるようになり、先のことも考えられるようになった。将来のことに目を背けるのではなく、将来こうしたいからそのために今何をするかを考えられるようになった。
もちろん人並みに悩みもあるが、楽しいこともたくさんあり、充実している。
特に、出産してからは、自分の人生だけでなく、子どもの人生も考えるようになった。
現在のお仕事について
短大で栄養士の資格を取得、その後管理栄養士の資格も取得し、現在はフリーランスの管理栄養士として、自宅でお料理教室や食の勉強会、食に悩む人のサポートなどを行う。
なぜその仕事を選んだのか、摂食障害だったことがどう影響しているか
自分が摂食障害だったことの影響は思い切り受けている。高3の進路選択の際に、治そうと思ってではなく、もっと痩せようと思い、短大の栄養学科に入った。
短大卒業時には摂食障害は治っていたが、元々食べることが好きで、食に興味があったので、この仕事を選んだのは結果的に良かったと思う。
今は自分の摂食障害がご飯中心の食事で治ったという経験を役立てようと、色々模索している。
まとめ
「治った」の定義
体型・体重は気にならない訳ではないが、極端に食事を減らすとか運動するとかは特にない(めんどくさい)。綺麗になりたいという気持ちはあるが、痩せることだけに執着するのではなく、自分に合ったメイク方法や服を探したりするのが楽しい。辛い方向に自分を追いこまない。
食べる時にあれこれ考えずに、食べたいものを選んで、美味しいと思って食べられる。
振り返ってみて
自分の性格的に、遅かれ早かれ摂食障害にはなっていたんじゃないかと。
今は、なるべくしてなって、治るべくして治った…という感じです。
ありがちな言い方ですが、摂食障害の経験がなければ、今の私はありません。管理栄養士にもなっていなかっただろうし、今私を支えてくれている方々との出会いもなかったでしょう。
「学校へ行く・部活をする・受験をする・バイトをする」などと同じように、ただの人生の通過点にあったものです。
ですから、恥ずかしいものでもないし、無駄なものでもなかったと思っています。
メッセージ
回復のきっかけは、どこに転がっているかわかりません=どこにでもあるのかも。
調べれば、カウンセリングや自助グループなどが主に出てきますが、私はたった一冊の本に出会ったことで変われたし、海外に行って変われた方もいます。恋愛がきっかけになる人もいるだろうし、ペットがきっかけになる人もいるでしょう。
当事者同士じゃないと…とか、食べられないから人と付き合えないとか、自分で壁を作らないようにして欲しいと思います。
小さなきっかけに気付けるように、少しでも視野を広げて下さい。
摂食障害だから出来ない、とか、やっちゃいけないなんてことはありませんから。
それから、摂食障害を治したい!治してやる!ってしっかりした気持ちを持つこと。
その気持ちがあるかないかで、回復のきっかけを掴む早さは全然違うと思います。
今は、SNSなどでたくさんの人と繋がれますが、結局は自分の気持ちですから。