14.自分の弱さを認め、さらけ出し、10年間習慣化していた過食嘔吐を克服(奥結香)
奥結香(29)
起業準備中
プロフィール
療養介護・医療型障害児入所施設にて介護福祉士、NPO法にて自閉症のお子さんの支援員をした後、特別支援学校教諭として支援学校に勤務。退職後、青年海外協力隊としてマレーシアにて発達障害のある子どもの支援や現地教員への指導等を行う。
現在は、自分の理想とする福祉を実現するために独立を決意し、起業準備中。
また、地元大分にてセクシュアルマイノリティーのサークルやサポートチームを立ち上げて活動もしている。
克服前
症状
ダイジェスト
期間 |
状態 |
17歳~22歳(約5年) |
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23歳~24歳(約1年半) |
酷い過食嘔吐 |
24歳~27歳(約3年半) |
だんだん回復へ |
人生曲線
原因、きっかけ
自己肯定感の低さ
家庭環境が不安定だったことから、自分は頑張らないと価値がない、頑張る自分じゃないと許されないと思い込んでおり、自己肯定感が低かった。
そんな中、スポーツ特待生として入学した高校のテニス部を引退2ヶ月前に辞めたことで、テニスもなくなって、これで太ったら本当に自分には何も価値がなくなる、と思ってしまい、どこかで見た、吐けば太らないという情報に飛びついてしまった。
家庭環境
母、姉、兄
中学2年生の時に父親があることがきっかけで逮捕され、成人していた姉と兄は家を出て、母と共に大分へ逃げる。のちに父と母は離婚。
父
借金、ギャンブル、暴力があった。
兄弟の中で自分だけ精神的虐待を受けていた。「お前なんか生まれてこないほうがよかった」、「お前が生まれてきたからこの家はおかしくなった」とよく言われていた。夜中布団で寝ていると急に布団をひっくり返されて起こされるため熟睡できないことも多かった。
父が暴れてひどい時は、家族でホテルに逃げることもあり、その度に数週間学校に行けなくなることもあった。
今考えると、子どもへの接し方が分からない人だったんだなと思う。子どものことは嫌いじゃないが、どう関わっていいか分からなかったんだと思う。
母
几帳面で常識的な母と、自由で大雑把な私なので言い合うことも多かった。
摂食障害だということやLGBTsだという理解をなかなか得られず10年間ほどわかりあえなかった。今ではお互い成長し言い合いもない。とても大事な存在である。
兄
ユニークな兄。バイクや一人旅、サバイバル的なことが好きだったりと趣味が同じなので、何かしら兄の影響を受けているのだろうと思っている。
姉
昔から、自分のことをとても気にかけてくれていた。父親の暴力に対しても、体を張って止めてくれた唯一の人。
学校環境
中学校までは勉強ができたが、思春期に入り勉強をする意味を失う。テニス部の特待生として私立の学校に入学。荒れた生徒が多いいわゆる教育困難校。
テニス一色の生活になりエースとして全国大会にも出場。しかし、友人が病んで飛び降りたことや顧問との考えの違いからテニスをする意味を見失い引退2ヶ月前に退部。特待生ではなくなったためバイトして学費を払うようになった。
性格
完璧主義かも。感受性が強い。何かに縛られること(常識や“~すべき”論、自分の行動を制限されること)が苦手。外交的なように見られるが本当は内向的。
ダイエット
テニス部を辞めた事で、自分は太ったら嫌われる、価値がなくなるという想いが強くなり、太りたくない、痩せなきゃと思うようになった。
そんな時に、どこかで聞いた、吐いたら太らない、痩せるという情報に飛びついてしまった。当時は、吐いてなしになるならそれでいいじゃん、と軽く考えていた。
克服中
完治までのプロセス
過食嘔吐(約5年)→酷い過食嘔吐(約1年半)→だんだん回復へ(約3年半)→完治
17~22歳(約5年)
過食嘔吐(167cm 62kg~55kg~43kg)
食 |
朝:家で出たご飯
昼:弁当 自分でグラムを計り、親が入れたカロリーが高い・分からないものは拒否。 友達がくれる食べ物は断れず、食べる。しかし、1口でも自分の許容外のものを食べると過食のスイッチが入ってこっそりたくさん食べて吐いていた。
夜:家で出たご飯をおかわりしてたくさん食べ、吐く 全て吐き終わった後に、ようやく冷蔵庫に入っているものを少量だけつまんで食べる。
土日は、過食しないように財布を持ち歩かずに図書館に1日中いることが多かった。時々、図書館には行かずに引きこもりご褒美感覚で食パン2斤、ご飯、焼きそばなど安くて量が多いものを過食嘔吐することが多かった。
毎日、常に食べ物のことを考え、また1日何回も体重計に乗る。 徐々に、きちんと一食を食べられることがなくなっていった。 |
運動 |
なし。 |
生活 |
夜2時就寝。朝6時起床 介護の仕事と通信制の大学に通っていたので、毎日忙しかった。 眠気を覚ますために食べることが習慣になり、夜、親が寝静まった後に、過食嘔吐することが多かった。 摂食障害で生活が回らないといったことは特にない。 |
体 |
むくみ。生理が来ない。毛深くなる。過食嘔吐による虫歯のため、3ヶ月に1回歯医者に通う。 体重が43kgになったあたりで体力もなく、物覚えも悪くなったため、このままではやばいかも。と思うことも。 |
メンタル |
2つの状態が共存していた。 光の部分は、明るく、前向きで、行動力に満ち溢れ、周りからも認められている。闇の部分は、止まらない摂食障害。 摂食障害以外は問題なかったので、これさえ治れば完璧、とそんなに真剣に考えていなかった。摂食障害の部分を補うように、他の事を100%以上頑張っていた。 過食嘔吐を止めると太ってしまうという意識が強かった。過食嘔吐がストレス発散、趣味感覚になっていた。この時期くらいからネットで摂食障害について調べることもあったが、ネット上の摂食障害の人たちと自分は違うと思っていた。 |
23~24歳(1年半)
酷い過食嘔吐(167cm 45~47kgくらい)
食 |
朝:キャベツ、卵、ミックスベジタブル 9時;過食嘔吐 昼:豆乳ジュース1パック、おにぎり1個 夜:過食嘔吐
過食嘔吐が完全に習慣化し、自分の一部になっていた。 過食嘔吐するときは、食パン、米など安いもの中心。 |
運動 |
趣味程度にテニス。 |
生活 |
一人暮らしを始める。睡眠は毎日3時間半ほど。 朝4時半起床、朝ごはんを食べながら勉強 朝6時~9時:アルバイト、その後過食嘔吐 9時~昼:教員採用試験の勉強 昼~20時:仕事 20時~:勉強しながら過食嘔吐 夜1時就寝 |
体 |
浮腫み。虫歯。体重が安定し、生理も戻る。(43kgになった時の恐怖から、体重を47kgくらいで保とうと意識したため) |
メンタル |
摂食障害であることに対して、なぜこんなことになったのかと、とにかく自分を責めていた。自分の夢も摂食障害のせいで諦めなければならないのかと絶望していた。 治したいという強い気持ちの反面、治ったら、唯一の自分の楽しみがなくなってしまうとも思う部分もあり、食べることが心の支えになっていた。 誰にも弱さは見せられずにいて、一人で悩んでいた。 |
24~27歳 (約3年半)
だんだん回復へ(167cm 量っていないが51~52kgくらい)
教員採用試験に合格したため、地元に戻って実家に住む。しばらくして、当時の恋人と同棲を始める。
食 |
【実家にいる時】 朝:家で出たご飯 昼:学校給食 夜:家で出たご飯をおかわりしてたくさん食べ、吐く 全て吐き終わった後に、ようやく冷蔵庫に入っているものを少量だけつまんで食べる。
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【同棲を始めた後】 朝:キャベツと卵 昼:学校給食 夜:恋人と一緒のものを食べる。
過食嘔吐をする時は、学校帰りにスーパーで400円分くらいのパンを買って、スーパーのトイレで過食嘔吐。 休日は、恋人と一緒にいる時はよくバイキングに行き、過食嘔吐していた。 一人でいる時は、米やパンなどを過食嘔吐。
恋人には同棲している以上、摂食障害のことを隠せないので、打ち明けていた。恋人は協力的で、本を読んで勉強してくれたり、料理も気を遣ってヘルシーなものを作ってくれたり、気を紛らわしてくれたり、など治すためにサポートしてくれた。 |
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運動 |
特になし。 |
生活 |
朝4時半起床、英語の勉強やギターの練習。 学校で働き、帰宅。 恋人と夕食。勉強、家事をして就寝。
教員になってしばらくしてから、東南アジア一人旅をした。旅行の間は不思議と過食したい気持ちがなかった。ずっと日本という狭い世界しか知らなかったのが苦しかったのかもしれないなと感じた。
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体 |
虫歯。浮腫みはそんなにない。 |
メンタル |
相変わらず摂食障害以外のことに関しては前向きで楽しむことができていた。また、恋人が真剣に自分の摂食障害に向き合ってくれる姿を見て、自分も向き合わなきゃと思い始める。一方、食べたい欲を無理やり抑えていたこともあり、恋人と一緒にいることがストレスになることもあった。 |
克服に一番有効だったこと
1. 恋人との同棲
恋人と同棲することで、好き勝手に過食嘔吐することができない環境になった。
それまでは毎日過食嘔吐していたが、恋人が協力してくれたことで、普通に食べられることができる日も増えて、「あれ?私食べられたんだ」と気が付き、少しずつ成功体験を積むことができた。
食べた後は、太る恐怖から吐きたい衝動に駆られることもあったが、恋人が一緒にいてくれたことで恐怖を乗り越えられた。
2. 体重計に乗らない
過食嘔吐が始まって、一人暮らしをするまでは1日5~10回ほど体重計に乗っていた。体重が100gでも増えていたら怖くなり、100gでも減っていたら嬉しかった。異常なほどに数字に囚われていた。
最初は怖かったが、体重計に乗れない環境にして乗らなくなったら体重を過度に気にすることはなくなった。今でも体重計に乗ることはほぼない。
3. 病気であることを認める
摂食障害であるということを認められず、治したいけれど、唯一のストレス発散方法である過食嘔吐を手放したくないとも思っていた。
摂食障害は難病指定されている病気。自分は恐ろしい病気にかかっているんだ、と認めることが治そうと決意する最初の一歩だった。
4.自分の弱さとちゃんと向き合う
摂食障害を含め、自分の弱さはこれなんだと認め、向き合う。
それまでは、周りがすごいねと言ってもらえる自分を追い求めるあまり、自分にできないことも追い求め、常に全力疾走だった。しかし、それは苦しいし続かない。周りに合わせた自分を創ろうとするのではなく、自分の弱さも知ったうえで、自分の力が一番発揮できるように自分で工夫し生きやすくしていくことが大事(自分支援)
今では、ベッドから1日動かない日があっても、心や体が休みたいと言っているんだな、と、自分の欲求を素直に認められるようになった。
克服の転機となった出来事、重要だったこと
1.恋人とお付き合いする
1人で殻に閉じこもって他人には自分の弱い部分を見せることができなかったが、恋人となるとそうもいかない。自分の悪いところも全てさらけ出さないと、腹を割って付き合えない。お互いの弱さを出したり認め合ったり、時には拒否されたりする中で、人付き合いというものを学んだように思う。
人とちゃんと向き合うことを通して、自分を知り、他人を知ることができた。良い人生勉強だと思う。
2.青年海外協力隊に参加
JICAの青年海外協力隊として2年間マレーシアに派遣された。
ゆったりおしゃべりを楽しんだり、のんびり生活して生きることに価値をおいているマレーシア人を見て、いかに自分が日本の中で身に着けた価値観に縛られて生きているのかを思い知った。
また、協力隊活動を通し、自分1人でできることの小ささを思い知り、人に甘えたり、頼ることが出来るようになった。
3.そのままを認めてくれる人との出会い
摂食障害でどん底だった時に、初対面のあるかたから、「大丈夫、あなたの目は腐っていない!!」と言われた。
初対面にも関わらず、そのままの自分を受容し、信じてくれた。こんなぼろぼろの自分でも見捨てない人がいてくれるのだと驚いたとともに“生きていていいんだ”と、安心した。
克服中に試したこと
効果的なものも、効果的じゃなかったものも
対症療法的なものも試してみてほしいが、本当に見なきゃいけないのは、心の面だということは覚えていてほしい。最初は過食嘔吐することをご褒美にしてもよいから、とにかく試してみることが大事。どれが合うかは人によると思う。
オーバーイーターズ・アノニマスという自助グループに何回か参加した。(合う合わないがあると思う)
http://oajapan.capoo.jp/meetings/#miyagi)
・電話相談
毎日相談員の人と話す。このままいくと10年後の自分はどうなるか書き出すなど、頭の中のもやもやを言語化し、自分を客観視する。
・お金を持たない
・過食する時間を作らない。
・食べたい!と思った瞬間から5分間だけ我慢する。
克服後
現在の生活(167cm 量っていないが54~56kgくらい)
食 |
好きなものを好きなときに食べる(食べたいと思うものが、自然と身体に必要な量・栄養素で、バランスも偏らなくなった)。
基本は1日3食。 朝:軽めに食べる 昼:ご飯+おかず 夜:朝昼に野菜が少ない時は野菜を多めに食べる
健康に気を付けつつも、健康的な食事は義務ではなく、野菜を食べない日や栄養バランスが崩れる日があっても、「まあいっか」と思えるようになった。 間食もしたいときはする。寝る前にチョコレートを食べたくなったら、食べて満足する。そこから過食にならない。食べ物に支配されていない。 |
運動 |
特になし。 |
生活 |
朝は6時~7時に起きて、夜は眠くなったら寝るし、夜更かししたい時はする。 以前は寝ることは時間の無駄だと思っていたが、今では自分の欲求に正直に寝すぎることも。寝すぎても、自分を過度に責めることはない。 |
体 |
健康。歯医者も行かなくてよくなったので嬉しい。 |
メンタル |
自分の気持ちをきちんと言葉に出して伝えられるようになった。 疲れた時には疲れたと言えるようになった。 自分の弱い部分をさらけ出して、全部含めて自分を認められるようになった。 |
ダイエット
見た目の持つイメージは何かしら世の中にはあるから、太り過ぎないようには気を付けるが、太っていても、笑って明るい人もいるし、人は見た目だけじゃないと思っている。
いつもダイエットでご飯のことを気にするよりも、人と美味しいものを食べる方が大切だと思う。
ここ痩せたらいいなと思う部位はあっても、痩せなきゃと強迫観念的には思わない。自分を追い詰めて、病気に戻るのはもう絶対に嫌。ダイエットをするなら健康的にしたい。
人生の捉え方
常識にとらわれずに自分がしたいと思うこと、好きだと思うことをいつまでも声に出して言えるようにしていたいし、純粋にやり続けて生きることを心がけている。
以前は、他人から求められた自分を頑張って演じていたけれど、今は自分の心に従って生きているので、人生何倍も楽しいし、なにより自分が楽。
また、強がっていたことで自分自身を失ったので、自分の弱い部分も意識してさらけ出すようにしている。
完璧な人はきっと世の中にいないし、みんな完璧じゃないからこそ、人間臭くって魅力的なんだと思っている。
自分の弱みも含めて今は自分のことが好き。
現在のお仕事について
20歳の時からずっと、福祉を変えていきたいという想いを抱いており、今もその気持ちは消えない。
彼らは障害者と呼ばれる存在ではあるが、自分にとっては仲間。仲間のために自分が生きることができたら幸せだと思っている。
色々な現場で働いた結果、自分で事業を興すということにたどり着き、今後は常識の枠を越えた福祉を創りたいと考えているところ。
まとめ
「治った」の定義
食事を、他の人と美味しいねといいながら食べられるようになること。
心の寂しさを埋めるために食べるのでも、何でもよいから口に詰め込むのでもなく、食自体を味わって楽しめること。
振り返ってみて
摂食障害を治したい!って何度も前を向いたのに、治らない自分を見つめるのは苦しくて、そのストレスを食にぶつける負のループ。
だけどあの時の自分を今振り返ると、周りに甘えられず一人で頑張りすぎたり、限度を超えて無理をしすぎたり・・・寝ることすら悪いことだと思っていました。
そんな自分を、自分の心は摂食障害という形に表して
“そんなに無理しなくても大丈夫だよ”
と、ストップをかけようとしてくれたのだろうなと思います。
治って数年、自分にとってはもう過去のことであり、決して良い思い出ではありません。
ですが、あの時の自分も私。
これから先は、あの経験から学んだたくさんのことを、今後に活かして生きていこうと思います。
治った!という方が増えて、ここに紹介される方が増えると私も嬉しいです。
ありがとうございました。
メッセージ
あの時のような苦しい状況の中にいる人が、今もいるって考えるとほんっっっと、私もつらいです。
自分自身をいじめるのはもうやめてほしい。
治そうと決心したら、自分の弱さや見たくない部分にも目をむけないといけないこともあるかもしれません。
でも、辛くなった時は食べちゃってもいいんじゃないかなって私は思います。
また後ろに戻って、少し前に進んで、また戻って・・・そんな繰り返しでもいいから治そうという気持ちを捨てないでほしいです。
十分がんばっている自分自身を抱きしめながら、自分のペースで、自分の心と向き合ってあげてほしい。
心からそう願っています。